見てすぐに空堀と分かりましたが、その大きさから大変な広さの城跡だとあらためて感じました。
原城の門跡は幕府軍により徹底的に破壊されており、ここも「埋門」と説明されなければ想像できませんでした。
桝形だったと思われます。礎石が残っています。
案内板には「踊り場状の平場に礎石と推定される石がある…」とありました。写真手前の石でしょうか。奥には十字架のモニュメント。
石垣の下からは多くの亡骸も発掘されているそうです。歴史の本などで知ってはいたものの、実際に島原の乱の舞台に立ち、何とも言えない虚無感がこみ上げました。多くの命が失われたこの地に永遠の祈りを。
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