お知らせ 詳細
この土塀は岡口門横の土塀で現存のもののようです。
この付近の石垣は1908年に路面電車を通すために取り除かれたとの事。 明治時代に道路を作るため堀幅なども狭くなり、お城の規模が縮小されたようです。
約2Km離れた北島橋上から 現在は周りに高い建物がありますが、昔は遠く離れたところからで、はっきりと見え、和歌山のシンボルだったのでしょう
この付近の石垣は立ち入り禁止になっておらず上ることができます。 柵がないのでご注意ください。
かなり高さがあります。 この付近は柵があるので安全です。
紀州藩初代頼宜公がここから紀州富士(龍門山)を眺め、故郷の駿河を偲んだとか。 高さが最大で23mあるようです。
この土塀は岡口門横の土塀で現存のもののようです。
連立式天守の威容がうかがえます。
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