多聞丸 石像説明
この石像は地域の活性化を目的とし、河内長野市(三日市地区)にゆかりの深い「多聞丸」(南北朝時代の武将〔楠木正成〕の幼名)が学者である大江時親から学問を学ぶ姿で、河内長野市市民公益活動支援補助金を活用して建立したものである。
多聞丸は少年期に観心寺の僧・龍覚坊から一般教養を学び、その後、加賀田の大江家まで約8キロの道を毎日休むことなく通い、日本最古の兵法書 「闘戦経」を学び、和の精神により、国と人々の平穏を確立すべきとの教えを受けた。
多聞丸が観心寺から大江家まで通った道「楠公通学路(橋)」の中間地点である三日市の「緑の一里塚」に隣接するばしょに、この度石像を建立したのである。
楠木正成は鎌倉幕府倒幕に中心的な役割を果たし、建武の新政に大きく貢献した。朝廷の新政が始まったが、武士から不満が上がり足利尊氏が反旗を翻した。足利軍が兵庫に迫ったことから、正成に朝廷より君命が下り、自らの志を我が子〔正行〕に託し、失敗を覚悟し出陣する。延元元年(西暦一三三六年)五月二十五日 兵庫湊川の戦いにおいて四十二歳の若さで戦死する。
多聞丸が和の精神と大義を就学し、又建武の新政に多大に寄与したこの道、この地に石像を建て往時を偲ぶ。
平成三十年三月吉日
三日市小学校区まちづくり協議会
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