左の斜面は城山、中央から右にかけてが信玄築石です。左奥から右手前にかけて旧中道往還が通っており、明らかに軍事的な意図をもって石が積まれているとわかります。
本栖城の山麓には石塁が多く残されており、虎口や番所跡と思われるものもありますが、用途不明なものも残されています。これもその一つで、厚みがないので防塁としては役に立たないでしょう。建物の基礎でもなければ土留めでもない、苔むした石塁が延々と続く謎めいた風景です。
この辺りの石塁は腰くらいの高さです。崩れて低くなっているのでしょうが、厚みもそれほどないのがわかります。崩そうと思えば簡単に崩れそうで、戦の役に立つとは思えません。
石垣は山麓だけでなく山城にもあります。堀切は岩盤をくりぬいていますが、左上の黒っぽい石垣はこの岩盤とは明らかに材質が異なり、山麓と同じく冷えて固まった溶岩を積んでいます。わざわざ下から運び上げたのでしょうか。
山の上の石垣は、山麓のそれと同じ石質なのに、ぜんぜん苔が生えていません。比高のデータからもわかるように標高差は大したことがないのに、なぜこんな違いがあるのでしょう。
山上の石垣で苔むしているのはここくらいでした。北側ということは、日当たりが悪いほうが乾燥しにくくて苔が生えるということかもしれません。
山上に残っている中で最も見事な石垣です。日当たりがいいせいか、まったく苔がありません。
左の斜面は城山、中央から右にかけてが信玄築石です。左奥から右手前にかけて旧中道往還が通っており、明らかに軍事的な意図をもって石が積まれているとわかります。
旧中道往還は昭和初期まで使われていたんですね。
溶岩を階段状に積み上げており、旧中道往還を城山と挟み込むようにして通行を制限しています。
背後は城山です。本栖城は関所と密接に関連していたのは間違いないでしょう。
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