南の峰(本城)北西麓から堀切状平坦面に繋がるこの切通し道は、玉縄台から長尾台に抜ける堀を兼ねた古道であると云われています。
最近人が通った形跡が無くまさに獣道です。土塁が両脇に残っていて、今回の攻城のハイライトでした。
御霊神社拝殿の右側にあります。 源頼朝の石橋山の戦い以降の長尾氏~上杉謙信までの歴史が記されています。
御霊神社裏手の切岸です。 周囲には削平地らしき場所も多数見られます。
バナー写真の案内板です。 御霊神社の南西50m程の位置、Googleで「長尾城」と、検索して出てくる位置にあります。
塚畑からの眺望です。 写真と反対方向の頂上周辺には塚があり、「和泉三郎」親子なる人物の塚があったという伝承があるそうですが、現在は畑になってて入れず不明です。
南東からの撮影。 幅は40m程です。 右側の高台が「塚畑」です。
左の高台が塚畑、間に堀切状平坦地、右側の森が標高68.7mで丘陵の最高地点で本城といわれる南の峰です。
高い地点で約2m程の土塁が残っています。
城址南西末端に位置します。この先は住宅街です。まさにタイムトンネルです。
南の峰(本城)北西麓から堀切状平坦面に繋がるこの切通し道は、玉縄台から長尾台に抜ける堀を兼ねた古道であると云われています。 最近人が通った形跡が無くまさに獣道です。土塁が両脇に残っていて、今回の攻城のハイライトでした。
堀切状平坦地から北側に降りていくとスムーズに辿り着けます。 現在塚頂上は、耕作地になっていました。
バナー写真の案内板の坂道を降り、突き当たった道を右折した周辺が伝承地です。 「日本城郭体系」の本文では触れられておらず、長尾氏時代のものか、北条氏時代のもかは不明だそうです。
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歴史好きな方であっても「世界史」と言われるとカタカナ文字だらけだったり、地域を跨ぐ国がいくつも栄衰したりで手が出し難いと思います。
一方「鉄砲伝来」とか「日本銀」のお話と言うと、ここ最近のテレビ番組でも特集が組まれたりしているので、もっと詳しく広い範囲で知りたい方もいらっしゃるのではないでしょうか?
この本は対馬や琉球などの「日本と海外の境界地」を中心とした戦国期の歴史から民族の流れや需要と供給の変化などを知ることが出来ますよ。
なので読み進め方は最初から読むよりも興味のあるキーワードがある章から読み始め、最後に全体を通して読むのが良いと思います。
個人的なおすすめは第6章でざっくり言うと、豊臣秀吉の朝鮮出兵の本当の目的は?その結果世界(特にアジア圏)はどう変わったか?のお話です。
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