海尻城
海尻城

[長野県][信濃] 長野県南佐久郡南牧村海尻下殿岡


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.00(--位)
  • 見学時間:30分(--位)
  • 攻城人数:43(2226位)

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砥石くずれ 砥石くずれ

海尻城の伝承から武田軍の進入路、烽火台、地名の由来まで詳しく書かれています。

   

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海尻城址

 所在地 南牧村大字海尻下殿岡

 城の種類 山城

 城の構造 山の尾根の末端で大月川の深い谷を選んで構築。本丸・二の丸・三の丸があり、西側の壁面は大堀切で守られている。城の南側は日向前、北側を日陰窪と呼んでいる。

 海尻城の伝説歴史 前山城主伴野氏の幕下井出長門守の築いたものという。村上氏の臣薬師寺右近らがこの城を守っていたが、天文九年(一五四〇)正月十六日に武田の将板垣信方の知略をもってこの城を陥れ、本城を小山田備中守昌行に守らせた。(一説には勇略あり守備の術に優れていた昌行の父昌辰とも云われた)二の丸は日向大和守昌時に、三の丸は長坂左衛国清が守った。けれども同年十二月海尻の地士(ぢさむらい)等の一揆が村上氏の意に通じ声援を得てこの城を囲み攻めた。村上の将額岸寺和泉光氏等が二の丸まで陥れたが、本城は固く守り降らず既に十二月晦日甲州より武田の将軍の到着により村上勢は敗退した。世に言う海尻城の合戦である。(千曲真砂)
 この海尻城の戦は戦国時代でもきわめて重要な戦いの一つで、武田信虎はこの勝利によって得た海尻城を前進基地として五月には佐久に攻め入り、三六城をおとす。
 八月に海ノ口に伝馬を置く。このころ平沢が小倉の地より現在地に移り伝馬役をする。

 海尻城の伝承 八ヶ岳の東麓の突出した尾根の先端に築かれた山城で八ヶ岳から流れる大月川と千曲川を眼下にし、南は西から流れる神川(新田川)に沿った釜の前(溝の前か)現西堀杭ノ下柵鼻(くねばな)という腰までつかる湿地帯で、さらに南には湯川、高石川が千曲川に流入している。
 城は山頂(愛宕山)が本丸で、東に四十メートル下現在の海尻集落の中心部がある殿岡地区が二の丸で、日陰窪医王院から諏訪神社が三の丸、水の手は医王院と諏訪神社境内にあり、水道が引かれる前は利用されていた。
 江戸末期文政、嘉永、安政の時代二の丸と思われている地点より、城の創築の際固めのために六方へ埋めるといわれる真言秘密の丸い石が出たり、城の鬼門に埋めるという北方を守る多聞天像、東方を守る持国天像(何れも金銅で高さ十、五センチ)が出土している。戦時に思いをはせると本丸に領主のいる本部があり、武者の寝起きする居住施設等の構築物があって、戦うとき足手まといになる家族がどうしていたかは不明で、秘密の地下壕に避難していたかもしれない。この穴を調べると奥まった場所は、二つに分かれ行き止まりになっており、右側には一人が腰掛けられるように段差になっていた。現在は国道に分割されて面影はない。

 武田軍の進入路 甲斐国(山梨県)から入るには諏訪口と佐久口の二道があり、武田軍の佐久攻略は千曲筋に沿って行われた。武田晴信は甲府つつじヶ崎の甲府市古府中武田館を出、千塚(湯村付近)から穂坂路を経て若神子に達した。それより長沢、平沢を過ぎて大門峠(平沢峠)を越え、野辺山原を通って海ノ口に下り、海尻、宮の上(現小海高校付近)臼田を経て前山に達する道筋(高白斎紀)

 武田軍の烽火台 千曲川の東に位置する海ノ口城西方二キロメートルの山には、大遠火という地名が残っており、尾根を登ると標高一三〇メートル(二等三角点)あたり遠見に達する。(海尻城と真東)ここは遠望がきき烽火台では最適な場所と思われる。

 ①山梨県高根町玄田山(源田山)大門ダム上の独立山
 ②平沢峠付近の山(風の三郎)南牧
 ③海ノ口城西山 南牧
 ④花岡烽火台(佐久町花岡)
 ⑤虚空蔵山烽火台(佐久市岸野地区竹田)

 古代の烽火の距離は十一キロメートルから十五キロメートル位になっている

 地名の由来 時平安時代仁和(にんな)四年(八八八)五月八日突然八ヶ岳(みかふり)が水蒸気爆発をおこして崩れ、天狗岳で崩壊した泥流は大月川の谷に流れ出し、佐久の村々を押し流した。(日本紀略)そのとき海の口と海尻の間に湖ができた。寛弘八年(一〇一二)八月三日下の深山が決壊し大峡谷をつくり、その湖が干潟となって平地となる。(南佐久郡誌)
                            南牧村教育委員会

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あぶさんさん)

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