五万ヶ池は、鎮西山一帯が町民憩いの森として整備されるまで、屋形原地区の農業用水の溜池として利用されてきたが、ここにも源為朝にちなんだ伝説が残っている。
あるとき、鎮西城の為朝を攻めた敵の騎馬五万騎余りが、この池のあたりで為朝の軍に討たれ、池の水が血の色に染まり、血の池地獄と化したところから、この池の名前が付けられたという伝説である。
実際には、鎮西山一帯が中世の山城として利用されていた当時の「駒ヶ池」などの山城の施設の呼び名から転じたものと考えられ、山城の兵馬のための飲料水を確保するための水源であったと考えられている(案内板より)
行きはキツい登山道に苦労。帰りは車道を下っていくとこの池に至りました。車道経由でもそんなに遠回りではありません
曲輪跡か、公園化によるものか・・・
左右への落ち込み具合といい、堀切のようにも見える
南側を見下ろす
五万ヶ池は、鎮西山一帯が町民憩いの森として整備されるまで、屋形原地区の農業用水の溜池として利用されてきたが、ここにも源為朝にちなんだ伝説が残っている。 あるとき、鎮西城の為朝を攻めた敵の騎馬五万騎余りが、この池のあたりで為朝の軍に討たれ、池の水が血の色に染まり、血の池地獄と化したところから、この池の名前が付けられたという伝説である。 実際には、鎮西山一帯が中世の山城として利用されていた当時の「駒ヶ池」などの山城の施設の呼び名から転じたものと考えられ、山城の兵馬のための飲料水を確保するための水源であったと考えられている(案内板より) 行きはキツい登山道に苦労。帰りは車道を下っていくとこの池に至りました。車道経由でもそんなに遠回りではありません
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