お城で言えば勝幡城・清洲城・名古屋城を結ぶ海道辻に建てられていた道標
(案内板左側の海道説明文を転記)
「高須海道」
名古屋城と美濃国高須とを結ぶ街道であった。高須藩
松平家は、尾張徳川家に後嗣がいない場合に、相続人を
だしていた。
小藩ながら幕末には、会津藩主松平容保や第十四代尾
張藩主徳川慶勝、桑名藩主松平定敬などを排出している。
また佐屋路の(津島)下街道に対して上街道ともいわれ
ている。
「清須海道」
清洲城と勝幡城及び津島を中島郡と海部郡(海東郡)の
境界線に沿ってつなぐ重要な道であったが、江戸時代の
初期に名古屋へ城が移ると(清須越え)その主要な役目を
終了することになる。
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