そこそこの坂です。自転車で上れるけどちょっと辛い。
本堂裏手が御坊山といわれ二の丸になるようです。恐る恐る本堂脇を進むと1mほど高くなっていました。広いけど三の丸的な存在なのか。では本丸は…。
階段にして6段ほど。まあ、御坊山が切り開かれて二の丸と三の丸に分けられ、現在の二の丸はということは弘福寺と宅地に、三の丸が八幡宮ということになったのか。 さて本丸は…。
車のない時代は、南に面したこの門が名実とも正門であり表参道だったのでしょう。「下乗」という看板は初めて見ました。馬や籠はここで降りられよということでしょう。でも車の場合は東門から入ります。(私の場合も、自宅から徒歩やチャリですが東から入ります) なんにせよ、虎口と呼ぶには憚られるほどたやすく入れます。遺構がないせいか? いや、当時も守るための場でなく、見張りと居館の場だったのではないか。では本郭は…。西へ行って見ましょう。
土呂八幡宮から西へ坂道を下り、県道の土呂西尾道に出たらこれを探してみてください。八幡宮にあったものと同じですが、ここが御堂山だということですね。
城址碑によるとこちらが本丸です。御堂山と呼ぶらしいけど、丘とさえ呼べない比高3~4mの小山です。土呂八幡宮とその北の御坊山が二の丸三の丸だとか。
土呂城については書いてありません。ステンレス製なのか鏡面仕上げで映り込みが激しく撮るのに難儀します。
そこそこの坂です。自転車で上れるけどちょっと辛い。
全体を見渡せるアングルがなかなかないんです。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
10月の定期ライブで榎本先生が推薦され、かつ来年の大河ドラマが平安時代が舞台と言うことで、予習のつもりで手に取りました。はっきり言って平安時代に関する知識はあまり有りませんでしたが、この著書には桓武天皇が都を平安京に移してから、摂関政治、院政、そして武士の時代までの約400年の貴族の権力闘争や平安京に住む人びとの営みを知る事が出来ました。特に関心を持ったのは平安京のトイレ事情で、汚い話もあり詳細は割愛しますが、テレビや映画ではなかなかお目にかかれない事なので興味深く読ませて頂きました。来年の大河まで時間はそう有りませんが、その前に是非読んでおく一冊だと思います。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する