右端の赤い屋根の建物が大手側の天叟寺です。お寺よりもう少し奥まで登れます。 写真の一番高い山頂が二の丸、二の丸から左側につづく尾根に曲輪が続き、写真左端あたりに三の丸がある感じです(本丸は二の丸の奥、写真では見えません)。距離があるように見えますが辛い距離ではなかったです。
右端の赤い屋根の建物が大手側の天叟寺です。お寺よりもう少し奥まで登れます。 写真の一番高い山頂が二の丸です。
大手側の登城口の交差点にある案内板です。
国道180号から大手側(天叟寺側)登城口への入口です(案内板もあります)。ここから細い道を登っていきます。(南側から訪れると少し手前に搦手側(本丸直行)の登城口の案内が先にあるので注意) 奥の山頂が二の丸です。
大手門登城口駐車場の案内板
天叟寺のさらに奥まで車で登ることができます。 ここから尾根までコンクリート道です。
大手側からの登城道。ここまでコンクリート道です。 右手が本丸・二の丸、左手が三の丸方面です。 看板には 「本丸まで七三〇米 二の丸まで四八〇米」 「三の丸まで二二〇米」 とあります。
楪城で一番規模が大きかったです。
三の丸は大堀切で遮断しています。
写真は三の丸のものですが二の丸の堀切のものも同じ内容でした。
三の丸側から
大堀切の上にある曲輪です。 三の丸は露岩が多いです。
三の丸は露岩が多く、それを活かして石積が所々ある感じでした。
左側の窪地が井戸跡です。
三の丸の井戸の案内板
城址の南端になります。
中央の山が本丸になります。距離はありますが遺構が途切れずあるので苦には感じませんでした。
ここから二の丸南側の堀切まで尾根上に不明瞭な曲輪が続きます。 遊歩道は尾根を避けるルートになっていますが、尾根上も起伏はそんなにありませんでした。
二の丸南の堀切から三の丸の間の尾根には不明瞭な曲輪が続いています。
この堀切から二の丸まで急傾斜になります。
北側から 見えている堀切の案内板は三の丸の堀切と共通でした。
南の堀切から二の丸までは、結構な斜度の道となっています。
正面の切岸は二の丸の切岸です。 ここから左手の犬走りを通って回り込んで二の丸に登ることになります。
犬走りから撮影、写真中央付近に古い二の丸への通路跡がありましたが、さらに奥の北側から回り込む方が安全です。
西側切岸下に遊歩道がありますのでこちら側は刈り込まれています。
二の丸の北側は本丸に続く腰曲輪との間に小さな腰曲輪を挟みます。
本丸と二の丸を繋ぐ曲輪です。
帯郭の中ほどには栖櫓(くるすやぐら)の基壇の高まりがあります。
帯郭から見た本丸南東側腰曲輪の切岸です。
結構広い曲輪です。奥の切岸は本丸のものです。 トイレがあります。
本丸の下、南側に突き出した曲輪「花(端)の丸)への入口です。 反対側に本丸への登り口があります。
ここから本丸へ登れます。(本来の虎口ではないようです)
ここから本丸へ登れます。(本来の虎口ではないようです)
山城としてはけっこうな広さの曲輪です。 西端が少し高くなっています。
本丸などには城名にちなんでか楪が植えられていました。
本丸案内板に記述のある石積みが少しだけ残っています。 急な切岸のところにあるので無理しないでください。
本丸の西側腰曲輪です。
本丸二の壇から
高梁川沿いに国道180号が鳥取県へ続いています。
本丸西側下段の腰曲輪です。二の壇との切岸がよくわかります。 北側の曲輪はここまでで、この曲輪の下に搦め手側の堀切がありますが遊歩道のため大半が埋められています。
曲輪中央に岩盤でできた壇がありました。
本丸・本丸二の壇、一の壇を搦手側登城道から。 この下は大堀切があり城址の境になっています。 (堀切は遊歩道のため原状をとどめていません)
本丸一の壇の直下に大堀切があり城の境にしていたようですが、遊歩道のため原状がわからなくなっています。 搦手側の登城道はこの先までコンクリート道のようです。
城外側から、大堀切の先は岩場の切岸がそそり立っています。 (案内板には「本丸まで二三〇米」とありますが、すぐそこです。)
岩盤むき出しの切岸です。
写真左側の段が二の丸北側腰曲輪、最上段が二の丸になります。
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