お知らせ 詳細
再現建物ですが、他藩の武士を接待する所だったそうです。
本丸東側石垣の修復が完了していました。 本丸東側石垣は写真左側に見切れている丹後山から本丸を遮蔽、防衛するために築かれた石垣です。
本丸東側石垣の修復が完了していました。 本丸東側石垣は宮川を挟み東側にある丹後山から本丸を遮蔽、防衛するために築かれた石垣です。
衆楽園(津山藩別邸庭園)から少しズームで。 衆楽園は津山城の真北にあり森氏時代は「北御屋敷・北屋敷」と呼ばれていました。
年中無休・無料で開園は4~10月は7~20時、11~3月は7~17時となっています。
案内板などには森氏時代から他藩の使者との対面所として利用されたとありますが、森氏時代に対面所として利用したという記録はなく「北御屋敷、北屋敷」と呼ばれ、藩主夫人の隠居屋敷などに利用されていたそうです。 松平氏時代は当初は「御対面所」と呼び対面所として利用したのですが一か月程で対面所は城内に移り、以後は藩主のプライベートの場として利用されていたようです。 また、この案内板では現存とされている「余芳閣」は津山市の公式サイトによると「再現した建物」のようです。
中央の山が津山城です。電柱の右側に天守台、左側に粟積櫓台、大戸櫓台が見えています。
風月軒は1885年(明治18年)に再建されたそうです。
再現建物ですが、他藩の武士を接待する所だったそうです。
再現建物ですが、他藩の武士を接待する所だったそうです。
津山藩医”宇田川興斎”旧宅は津山城の北東側の麓、宮川の西岸にあり、かつては森氏の家老関氏の下屋敷や、松平氏時代には松平綱国の屋敷(宮川御殿・更山様御殿)があった敷地の一角になります。綱国死後広大な屋敷跡は分譲されたそうです。
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