周南市文化会館の南東側の庭園前
大阪城築城残石
徳川幕府は 元和六年(一六二〇)から寛永六年(一六二九)までの十年間にわたり大阪城の大改修を行った
普請に参加した毛利藩は寛永元年(一六二四)大津島の石九十八個を御船手に運ぶよう指示しているが昭和五十五年大阪城小天守台修復工事の際にこの大津島石の所在が確認された
石には毛利氏の家紋を略した■(一の下に〇)を刻んで運んだがこれはその時の残石である
徳山小学校の北側から周南市文化会館まで続く桜並木。この道沿いに石碑、説明板があります。花畠練兵場跡、徳山藩作事方跡(美術館南側)、益田親施幽閉賜剣之地。また徳山小学校の南側の門横に、藩校の石碑(南東端に説明板)、桜馬場の説明板があります。
周南市文化会館の南東側の庭園内
周南市文化会館の南東側の庭園前
周南市文化会館の南東側の庭園前
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