のぼりと石碑との間を抜け、戸石城の案内表示が右方向に向いているのでそこを登って行きます。
枡形城跡に行く途中にあります
数段にかけて曲輪があります
写真中央が砥石城で手前が堀切です。砥石城の切岸はかなり急斜で、実際は梯子を使って昇降していたらしいです
明治23年、飯綱城跡に伊勢山集会所が作られ、石垣は集会所を作るために神川から運んできたものだそうです。 なお、東側には陽泰寺の下にあった郷蔵が移築され、集会所の裏手に飯綱城の郭が残っているそうです。
ここでは小屋=お城、砦を意味し、昭和29年の浄水地工事の際に「カマス」に入った麦が半炭化状態で、小銭や囲炉裏のようなものが出土し、平成16年のNTTドコモのアンテナ工事の際、水平面のラインや、土器のかけら、炭が出土したそうです
写真左が神川で写真中央が空堀です。空堀の東側は黄金の滝と言われている場所で、神川に落ち込んでいます。
最高地点(800m)にあり、古地図だとここが本城だったそうです。
この辺は石が豊富なのか石自体がそれほど大きくはないです。恐らくこの山にあった石を使っていたのではないかと思われます
段曲輪だけでも結構な広さがあります
写真右に陽泰寺からの登城口があります
意外と見落としやすい場所にあります
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する