斜面の土塁なのですが、竪土塁というよりは郭を囲う形です。
説明板のある登城口から登るとここに出ます。
本丸、二の丸、三の丸が並ぶ連郭式の縄張ですが、北から西にかけて細い尾根が走っており、その南東側に曲輪が並んでいます。北西側は崖です。堀切が竪堀状に尾根を下って郭を分断する形になっています。もともとの地形は緩い傾斜地だったものを、切岸と削平地にした結果、尾根の形状になったのかもしれません。削平地と尾根の高低差は20メートル、あるいは尾根でなく土塁といえるのでしょうか。いずれにしても独特の形状です。
斜面を縦に走る堀なので竪堀状ですが、登ってくる敵の横移動を規制するためというより、郭を分断する目的の堀なのです。
斜面の土塁なのですが、竪土塁というよりは郭を囲う形です。
逆光で撮ると紅葉した樹々が輝いて見えます。
城下の伊南川が見えています。これを白飛びさせないように、土塁をあえて暗めに撮りました。
右手奥から堀切が下りてきて、そのまま横堀として本丸を囲んでいます。土塁上の紅葉が映えていました。明暗のコントラストと奥行きが出ていて、かなりお気に入りの写真です。
これもあえて逆光で撮りました。
燃えるような赤一色の紅葉もいいですが、こういう色とりどりなのも楽しいですね。
搦手口にも馬出があったらしいのですが失われています。説明板があるのは搦手口だけですが、石碑はこちらにも。
右手の大きな看板が目立ちます。こちらが搦手口です。大手口は左ですが、分かりにくいので搦手口から入って大手口に出てくるほうがおすすめです。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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