常盤橋の橋脚 ここにある石柱は、江戸時代後期の常盤橋を支えていた橋脚の一部です。 小倉城主細川忠興が慶長七年( 一六〇二)紫川の東に東曲輪(城郭)を開いた後、紫川に橋を架けました。最初は「大橋」と呼んでいましたが、元禄五年( 一六九二)架け替えたときに「常盤橋」としました。 文化十年( 一八一三)洪水に耐え、腐食も防げるからと、試しに橋脚の下半分を11種類の石材に替えてみました。1 つは濃灰色の花崗山石で、柱の直径は約三十センチ足らずの細いものでした。もうひとつは「いのちのたび博物館」に保存している直径約六十センチ(写真參照、ここのものと同型)のものでした。両方とも「文化十酉年為試建之 三本之内」とあります(どちらも平成五年の河川改修で出土)。 ここにある橋脚は昭和初期に引き上げられたものです。文政五年(一八二二)の銘が入っていて,直径約六十センチ、高さは約五·七メートルの巨大なものでした。 民間に払い下げたとき幾つかに切断され、市内数箇所に現存しています。 建立年月が文政五年、文政十年(一八二七)、天保三年 (一八三二)のものが残っています。 小倉北区役所
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