若宮八幡宮は、室町時代末期の永禄年間(1558〜1569年)、岩崎丹後守によってこの地の守り神として創建されたとも云われています。
若宮八幡宮は、室町時代末期の永禄年間(1558〜1569年)、岩崎丹後守によってこの地の守り神として創建されたとも云われています。
案内板要約「北条早雲の家臣・山田伊賀入道経光が牢場を設けた事からこの地名が付き、道の傍らにはこの頃の五輪塔や板碑があります」 五輪塔等は残念ながら見つけられませんでした。
この周辺は湿地帯が広がり、境川を掛かるこの橋から武士達が入城した事から「山田橋」と呼ばれてきたそうです。 現在の名前は「上瀬谷橋」です。
今でも田んぼが広がり、背後には川が流れています。当時は一面湿地帯の要害だったと思われます。
ここで扇谷上杉家の太田道灌率いる軍勢と迎え撃つ深見城の軍勢合わせて4万の兵が戦ったと云われています。
深見城の裏鬼門(南西)の抑えとして、城主の山田伊賀守が守り神としてしていたと云われています。現地に由緒書はありませんでした。 天竺坂下から徒歩10分程です。
坂の下からの撮影です。 写真左側が城址です。
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