一ノ坂礎石群は、奈良時代の山城怡土城の遺跡の一つです。三間×二間の建物跡と推定され、尾根線上に位置しており、北と西側に石積基壇を、南側斜面に石列を施しています。怡土城跡には、他に六ケ所の建物跡が確認されていますが、多くの謎をもつ山城といえます(案内板より)
中国式山城である怡土城は、高祖山の麓部に土塁が築かれているのが特徴です。写真の城址碑は、高祖山西麓の大鳥居口に残る土塁上に設置されています
大鳥居口の土塁上にある城址碑裏の風景
地図左側が海側(北)になります。西麓を土塁で守り、海からの敵を望楼から見張る造りになっていたのでしょう
(現地説明板より抜粋)この説明板のある場所の大字は「大門」といいますが、これは城門があった名残が地名として伝わったものといわれています。怡土城には5ヶ所の城門があったと考えられていますが、ここは城の正門にあたる大手口があったという説があります。
1200年以上も前に築かれた土塁が、今も立派に残っています
県道56号線沿いの高来寺公民館近くにある登山口で、ここから少し登ると第5望楼があります
一ノ坂礎石群は、奈良時代の山城怡土城の遺跡の一つです。三間×二間の建物跡と推定され、尾根線上に位置しており、北と西側に石積基壇を、南側斜面に石列を施しています。怡土城跡には、他に六ケ所の建物跡が確認されていますが、多くの謎をもつ山城といえます(案内板より)
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