堀と曲輪が繰り返し続いているような構造で、段々畑ならぬ段々曲輪のようでした。
5つある空堀の中でも、この二の堀が一番深いと思います。築城当時は5つの堀すべてが深くてかなりの防御力を誇っていたという風に思いました。
5つの堀の内、どの空堀かはわかりませんが、主郭の裏側にありました。
松岡本城のすぐ横ですが、場所が分かりにくいです。
井伊直親が幼少期に過ごしていた松源寺は火事により焼失し、現在の場所に建て替えられたため、直親がいたのは火災にあう前の松源寺です。そのため現在の松源寺とは場所が違うため注意してください。松源寺跡には案内板があります。ちなみに私は案内板付近でキジを見つけました。
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