会津との繋がりが分かります
凌霜隊略記
明治維新の前夜、天下が勤皇、佐幕の両論に揺れ動いていた頃、譜代大名青山家の藩論も容易に決しかねていた。しかし江戸在藩の郡上藩士ら四十五名は、徳川の恩顧に報いるため会津救援を決意し、弱冠十七才の朝比奈茂吉を隊長に脱藩して凌霜隊を血盟し遠く会津を志した。時に慶応四年四月十日のことである。
途中、小山宿、宇都宮、横川宿、大内峠、関山宿などで激烈な戦闘を繰り返しつつ、様々な辛苦の末、九月六日遂に若松城に入城した。
城内では白虎隊と共に西出丸を守ったが時に利あらず降伏城明け渡しとなり凌霜隊も涙をのんで従った。
明治と改元された十月十二日旧藩お預け郡上へ護送となり、江戸から船で伊勢へ向かう途中難船、同三十日贄浦に上陸し、十一月十七日郡上へ到着した。藩では脱走者として、謹慎を命じ赤谷の揚屋へ収監した。戦死、行方不明を除く三十五名の者が、許されて自由の身になったのは明治三年二月十九日であった。
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攻城団テレビ「戦国時代のはじまりと終わりはいつか?」の中で団長が紹介されていたので読んでみることにしました。本書では1467年室町幕府に「応仁の乱」という形で押し寄せた前後を戦国時代の始まりとして、江戸幕府を開いた徳川家康が世を去る1616年までの約150年間に付いて、守護大名、守護代、国人などが戦国大名となっていく課程、織田信長の名が世に出てからは、三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)のエピソードが解りやすく書かれています。また北条氏がらみで関東近辺の地侍についての記載があり、東京在住の私としては地域の歴史を知る上での参考になりました。と言うことで、戦国時代を知りたい方の入門編としてお勧めの一冊だと思います。
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