[岐阜県][美濃] 岐阜県恵那市岩村町飯羽間
登城口からすぐ、竹薮に行く手を遮られます。手作りの説明板がところどころに設置されていますのでそれを頼りに進むと間もなく本丸に到着しますが何故か本丸だけはあまり竹が生えていませんでした。
県道406号が北と西に分岐する間にあり、道路から少し見えにくいですが、飯羽間城跡の標識かみえます。登城口までは畦道をとおっていきますが、古い電灯の様なものが道沿いに立っていてわかります。
皆様の情報通り、終始竹藪の中を通らなければなりません。 足元も笹が積もって滑りやすくなっており、竹も「逆茂木」状態のため、下山時は特に注意が必要です。
先人の写真と見比べて更に荒れたようです。身の危険を感じたので登城道途中で引き返しました。
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太田資正(三楽斎)の名前は知っていたものの、その知識のほとんどは佐竹氏の客将時代のもので、岩付城主時代の活躍や、息子に城を追われた話などはぜんぜん知らなかった。合戦でも活躍した名将だけど、反北条同盟を画策したり、武田氏や上杉氏から佐竹氏への取次を頼まれるなど軍略家として見たときの資正は相当な傑物であると思う。
であるにもかかわらず秀吉から「三楽斎ほどの者が一国も取れぬ不思議よ」と言葉をかけられるほど、戦国時代というのは個人の力量だけではどうにもならない無情さを感じますね。 太田氏の歴史から、現在訪問できるゆかりの地の紹介まで、非常に充実した一冊です。
( こうの)
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