一見虎口のようですが、本当は土塁が続いていたそうです。後世の人が通りやすく開けたようです。本当の登城路は左側の石を回り込んで細い道を通って上がります。
お城の北側の曲輪です。大きな石を積んでいます。北側には、こういった大きな石が散乱しています。
土塁の下の方に石を積んでいます。
喰い違い虎口のの手前の曲輪の石積みです。ここはくづれずによく残っています。
かなの大きな石を使っています。
左側はまっすぐ、右側は少しカーブしています。地形に合わせて曲輪を作ったのでしょう。
ここを進み右に曲がっていくと主郭の虎口に行きます。
自然の大きな岩と石積みを組み合わせています。
城の北東側の土塁です。まっすぐ上がって右に曲がっています。奥を見ていただくと高さがわかると思います。
直角に交わるところには、自然の岩を利用してます。
食い違い虎口を主郭内から見ています。ブルーシートは発掘した跡です。
きれいに残っています。
城の北側です。大きな岩が向かい合ってあります。虎口でしょうか。
北側には大きな岩が多いです。曲輪が段になっています。
後ろ側が虎口になります。
土塁の端には大きな岩を使っています。
本当の虎口はこの石に沿って右に曲がってあがります。細い道なのでてきがきても守りやすかったでしょう。
主郭の南側の土塁です。
中央が虎口です。
きれいに残っています。
こちらもよく残っています。
主郭内から虎口を見ています。正面の木がなければ讃岐平野が一望でしょう。
城に入ってすぐの方形曲輪にある岩です。方形曲輪の虎口だったのでしょうか。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する