鉄塔が建っている場所になります。雲海展望台への道沿いにあります。
下太鼓の丸も石垣で固められた立派な曲輪です。
土橋という名前がついています。 もともとは土橋で改築時に大堀切にしたのかもしれません。
現在は通れませんが犬走りが搦手門方面へ続いていたようです。
普段は水没している部分が見えています。
ここに櫓門が建っていました。
厩曲輪から
某番組ではないですが
特別公開中でした。
御茶屋とは御殿の事です。
御殿である御根小屋は現在高梁高等学校になっています。
御殿の堀代わりになっています。
武家屋敷などが残っています。
唯一の尾根続きの北東端の守りとして石垣で厳重に作られています。
雲海展望台の道の行き止まりから歩いて行くとこの吊り橋があり、渡ると切通・番所、大池のすぐ近くに出てくることができ松山城へ行くこともできます。
藩主の居館と松山藩の政庁で、小堀遠州の時代は下屋敷、水谷候以来は御根小屋ともよばれていた。(案内板書き起こし)
7:55分に撮影。もう少し早くついてたら城の近くまで雲海があったのでしょうか?
雲海展望台の案内板
雲海のピークが過ぎていたのか展望台の真ん前の駐車場に運よく駐車でき、展望台の混雑も避けれました。逆に運が良かったかもしれません。
遠くに天守が見えます。
アップで
ふいご峠駐車場の登城道と反対側にあるのですが入口が駐車場から見えていないので結構見落としがちな曲輪です。地元の誘導員の方も知らなかったです。
下太鼓の丸も石垣で固められた立派な曲輪です。
ちらっと見えてる石垣は中太鼓の丸の石垣です。
櫓台のすぐ横にあります。
数段の曲輪があります。
自然の岩と融合しています。
岩盤をうまく利用しています。
現在「中太鼓の丸」と呼ばれています。
現在は通れませんが犬走りが大手門から搦手門方面へ続いていたようです。
案内板などがなく素通りしてしまいがちですがこの土塀は現存で土塀としては珍しく重要文化財に指定されています。
大手門跡の横です。
備中松山城の狭間は視野が狭く、平和な時代に戦闘を想定していない飾り重視の狭間であることがわかります。
石垣崩落防止のためのものかな?
道標が鏡石とかぶっちゃってます。
左から六の平櫓・南御門・五の平櫓
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