黄金の里から更に奥へ歩くと電信柱にこんな表示が貼ってあるので、このまま進むと登城口(搦手、大手)に行けます。
段曲輪になっており、屋敷がいくつも建っていたと思われます
いわゆる出丸で、この先に曲輪があるだけで何もないです。結構急斜です。
案内表示が全くないので、城郭図を見て場所を探しながらようやく見つけました。高さ2.5m位、長さ30m以上はあるかと思います。写真手前は曲輪で、この大土塁の裏側に深い堀切があるので、位置的に捨て曲輪のような出丸だったのではないかと思います。
車でも行けなくないですが、この先の右側に側溝があり脱輪の可能性があるので行かないようにして下さい。 この日一台脱輪してJAF呼んでました。
「享保」「元禄」などの元号が書かれていたので、江戸時代のものと思われます。
浅くなってしまってますが、土橋の両側は堀切です
堀切と言うより竪堀に近いです
手前が堀切だというのが判らない位浅くなってしまってます。 写真中央付近にもう一つ堀切があります。
こういうの見ると歳月を感じますね
写真右側が大土塁で写真左側が出丸がある切岸です。 このように深い堀切が作られ、背後に大土塁が築かれているのを見ると敵が逃げれないように深い堀切を作り大土塁を築いたのではないかと思います。
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