お知らせ 詳細
三の丸の通路の東側は藩主の娯楽や接客のための向屋敷があったとされるところで、芝生の中に見える石材で作られたラインは建物遺構表示となっています。
三の丸から
西の丸の南側の櫓です。 左がワの櫓、右がカの櫓です。
予定では三月末には修復が終わるはずでしたが、想定以上に傷んでいたため六月末まで工期が延長されるそうです。
やはり工期延長になった模様で6月末まで延びています。 (写真は3/4のもので現在は新しい張り紙がされています。)
ぬの門前にあります。
ぬの門前の石垣です。
明治に入ってから太鼓櫓と呼ばれていますが、への櫓が正しいです。 実際の太鼓櫓は三の丸の入口付近にありました。
上山里曲輪から天守側への門です。
備前丸の東側石垣には石棺が転用石として使われていましたが、石棺は中が空洞なため強度に問題があるとされ、昭和の大修理時に同じ凝灰岩で作られた石材と交換されています。 現物の石棺は現在「リの一渡櫓」の庇の下で展示されています。
櫓内に井戸があります。
明治に入ってから太鼓櫓と呼ばれていますが、への櫓が正しいです。 実際の太鼓櫓は三の丸の入口付近にありました。
搦め手からの備前丸への入口であるため備前門と現在は呼ばれていますが、江戸時代は東入口門と呼ばれていました。(こことはまた別に西国街道から外堀を渡り外曲輪に入る虎口に備前門のちに福中門と呼ばれる門がありました。) 門の上の櫓部分は明治15年に焼失しましたが昭和38年に復元したものです。 また、門の右側の縦に積まれた巨石は石棺の転用です。
正面の建物が旧番所です。 右側は井郭櫓、左側の縦に積まれた巨石は石棺の転用です。
2022年3月1日から21日まで特別公開中です。
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との門の枡形は姫路城では唯一、二つの門と土塀が残っている桝形虎口になります。
2022年3月1日から21日まで特別公開中です。
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姫路城内に2カ所だけ見られる桃の実を模った鬼瓦です。 搦め手側から確認できます。
鬼門の位置にあります。
搦手をおさえる位置にあります。
搦手から
搦め手上にある井郭櫓の袴腰型の石落としには、下向きだけでなく横にも狭間が設けられています。三角形の穴が狭間だそうです。
ちの門に掲示されていました。
との一門から備前門の間の棟門です。
城内の道標には腹切丸とありますが、正確には井戸曲輪です。 昔は入れていたのですが、ここ何年も立ち入り禁止になっています。 曲輪内に建つ帯郭櫓の内側が開放されており、時代劇で見るお白洲のような外見だったため、そこに検使が座り、切腹を見届け、井戸で首を洗ったというストーリーが生まれたようですが、そういった記録や根拠は無いようです。 また、写真にも写っていますがこの曲輪の土塀には姫路城では二か所にしか見られない控え塀(補強用の塀)が付属しています。残りの一か所は「ぬの門」と「をの門」の間の土塀です。
姫路城の土塀は他の城と異なり控え柱等を用いず建てられていますが、写真の”ぬの門”から”をの門”の間(三国堀の上)と井戸曲輪(腹切丸)の土塀だけには控え塀を付属させ補強してあります。
知らないうちに通り過ぎてしまう二の丸です。
二の丸から撮影
三国堀の北側の石垣にはかつて姫山と鷺山の間にあった濠(谷)を塞いだ跡が残っています。
人工地盤建設時に移転した大天守」の礎石が三の丸に再現展示されています。
三の丸の通路の東側は藩主の娯楽や接客のための向屋敷があったとされるところで、芝生の中に見える石材で作られたラインは建物遺構表示となっています。
左からリのニ渡櫓・リの一渡櫓・チの櫓です。 上山里曲輪にある櫓群です。
下山里曲輪から
下山里曲輪から
下山里曲輪にある祠の脇にある五輪塔は、石垣修復中に取り出された転用石を組み立て直したものだそうです。
内堀が本丸付近まで入り込んでいる箇所で船溜まりとして利用されていたようです。
左からヘの櫓(太鼓櫓)、帯郭櫓、帯の櫓になります。
搦手(との四門付近)から撮影
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