狸親父(たぬきおやじ)さん 太閤 サポーター   フォロー

1949年10月、現在の新潟県新発田市生、東京育ち。仕事で全国を転々とし、現在は東京在住。定年退職後は仕事をせず、古道や旧街道を歩いて、小さな知らない町を彷徨し、城跡のほか、神社、仏閣、古墳など手当たり次第に見学しています。車の運転をしない(免許返納済)ので、原則として公共交通機関と徒歩で攻城を続けています(乗り鉄です)。古稀を過ぎてから体力の衰えを痛感して城ツアーに参加することも多くなりました。容易に攻城可能な未攻城の城が少なくなってきましたが、健康に留意して、体力の続く限り多くの城を攻城したいと考えています。(2021.10.30記)

狸親父さんのタイムライン

狸親父さん が  高崎城(茨城県つくば市) の写真をアップしました(2024-07-06)

土塁?
土塁?

狸親父さん が  牛久陣屋(茨城県牛久市) の写真をアップしました(2024-07-06)

市民の木の説明
市民の木の説明

牛久陣屋についての記載があります。

狸親父さん が  遠山城(茨城県牛久市) の写真をアップしました(2024-07-06)

土塁
土塁

狸親父さん が  遠山城(茨城県牛久市) の写真をアップしました(2024-07-06)

鹿島神社
鹿島神社

狸親父さん が  高崎城(茨城県つくば市) の写真をアップしました(2024-07-06)

遠景
遠景

この森の中に土塁様のものがあります。

狸親父さん が  泊崎城(茨城県つくば市) を攻城しました(2024-07-05)

狸親父さん が  高崎城(茨城県つくば市) を攻城しました(2024-07-05)

高崎城は、城山団地と城山保育園北側の畑地と山林を含む一帯が城域とされています。城域のされる藪の中に土塁様の地形を見ることができました。

狸親父さん が  東林寺城(茨城県牛久市) を攻城しました(2024-07-05)

狸親父さん が  牛久陣屋(茨城県牛久市) を攻城しました(2024-07-05)

狸親父さん が  牛久城(茨城県牛久市) を攻城しました(2024-07-05)

狸親父さん が  遠山城(茨城県牛久市) を攻城しました(2024-07-05)

牛久駅からタクシー(1300円。バスもありますが本数が少ない)。城域は鹿島神社の境内になっています。土塁が少し残っています。

狸親父さん の読者投稿欄「あなたが城めぐりとあわせて楽しんでいる趣味があれば教えてください」への回答が公開されました(2024-07-01)

私は、もともとは、ローカル線に乗車したり古道や旧街道を歩いて、知らない町を放浪し、現地にある城跡のほか、神社、仏閣、古墳などの史跡を見学することを趣味にしていました。100名城のスタンプラリーに参加したころから、城郭に対する比重が高まり、2017年4月に攻城団に入団してからは、攻城の沼にどっぷりとはまってしまい、城郭を攻めることが主目的になってしまいました。今では、著名な城はほとんど攻城してしまったうえ、体力的にも本格的な山城攻城も困難になったので、原点にもどり、ローカル線乗車や国分寺・一宮参拝にも重点を置いて旅行しています。もちろん、途中に城があれば攻城しています。写真は、若狭国分寺です。

狸親父さん が  川田城(群馬県沼田市) の写真をアップしました(2024-06-29)

城址遠景
城址遠景

狸親父さん が  幕岩城(群馬県沼田市) の写真をアップしました(2024-06-29)

幕岩城の小径
幕岩城の小径

入口がややわかりにくいので注意

狸親父さん が  荘田城(群馬県沼田市) の写真をアップしました(2024-06-29)

道標
道標

狸親父さん が  高富陣屋(岐阜県山県市) を攻城しました(2024-06-29)

狸親父さん が  斗南陣屋(青森県むつ市) を攻城しました(2024-06-29)

狸親父さん が  烏山城(東京都世田谷区) を攻城しました(2024-06-29)

狸親父さん が  川田城(群馬県沼田市) を攻城しました(2024-06-29)

沼田駅より徒歩。鷺石橋を渡ってそのまま歩道橋を登って行くと近道です。本郭は個人宅なので見学はできませんが、川田公民館から遠景を見ることができました。 

狸親父さん が  沼田城(群馬県沼田市) を攻城しました(2024-06-29)

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今日のレビュー

太田資正と戦国武州大乱~実像と戦国史跡~

太田資正(三楽斎)の名前は知っていたものの、その知識のほとんどは佐竹氏の客将時代のもので、岩付城主時代の活躍や、息子に城を追われた話などはぜんぜん知らなかった。合戦でも活躍した名将だけど、反北条同盟を画策したり、武田氏や上杉氏から佐竹氏への取次を頼まれるなど軍略家として見たときの資正は相当な傑物であると思う。

であるにもかかわらず秀吉から「三楽斎ほどの者が一国も取れぬ不思議よ」と言葉をかけられるほど、戦国時代というのは個人の力量だけではどうにもならない無情さを感じますね。
太田氏の歴史から、現在訪問できるゆかりの地の紹介まで、非常に充実した一冊です。

こうの)

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