田原戸田家の初代・尊次が三河国田原藩1万石に封じられたことから始まる。3代・忠昌のときに肥後国富岡藩2万1千石、武蔵国岩槻藩5万1千石、さらに下総国佐倉藩6万1千石と、転封のたびに石高を上げていった。その後、越後国高田藩6万7千8百石余り、下野国宇都宮藩へと移る。6代・忠盈のときに一度、肥前国島原藩に移るが、7代・忠寛のときにまた宇都宮藩に戻された。13代・忠友のときには陸奥国棚倉藩5万石への転封が命じられるものの、差し止められたため、もとの領地と石高に戻っている。忠友は版籍奉還を経て宇都宮藩知事に任命され、後に子爵位も授けられた。