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たぬまけ

田沼家

田沼家の概要

大名種別
いわゆる親藩・譜代・外様の分類
譜代
大名の格
幕府が定めた大名家の格付け
陣屋
石高
歴代当主が与えられた最高石高
1万石
控えの間
江戸城に登城した際に待機する部屋(詰所)
菊之間(広縁)
爵位
1884年(明治17年)の華族令制定時に与えられた爵位
子爵

田沼家の歴史

田沼家は、田沼吉次の代から紀伊徳川家に仕えた陪臣である。本来なら幕政に関与することはなく、譜代大名どころか直参よりも格の低い家柄だった。
しかし、田沼意行の代であった1716年(享保元年)、主君である徳川吉宗が8代将軍に就いたことから幕府御家人となる。そして、その嫡男の意次が譜代大名・田沼家の初代として名を残すこととなった。

意次は1730年(享保15年)、西の丸小姓として吉宗の世子・家重に仕えることになる。1745年(延享2年)に家重が9代将軍になると、意次は本丸小姓から小姓組番頭格、小姓組番頭、側衆ととんとん拍子に出世し、石高も加増されていった。
1758年(宝暦8年)、意次は5千石を加増されて石高1万石の大名となる。さらに家治が10代将軍になり、家治から厚く信任されていた意次は、1767年(明和4年)に側用人に任命され、遠江国相良藩2万石に入った。その後、老中格、老中と出世していき、家督を継いだときには6百石だった石高は、5万7千石にまで膨れ上がっていた。

意次は次の将軍のことも考えて手を打っていた。弟の意誠を一橋治済の家老に任命し、意誠の死後は子の意致に後を継がせた。さらに治済の子の家斉を将軍の世子とし、意致をその側衆にしたのである。
また、自分の子どものことも忘れていなかった。嫡男・意知の妻には老中・松平康福の娘を迎え、次男・意正は側用人・水野忠友の養子にしている。さらに忠友の娘を井伊直朗に嫁がせて姻戚関係を結んだ。この結果、忠友は老中に、意知は若年寄に任命されている。幕閣は田沼家の縁者で固められていったのである。
意次は株仲間の結成を認め、銅座、鉄座、人参座などを組ませて専売制を実施した。そうして利益を増大させ、それを資本に印旛沼や手賀沼を干拓して新田開発を進めた。また、ロシアの進出に注目して蝦夷地の開発も計画している。

しかし、商人と経済を中心にした政策は賄賂の横行という副作用を生んだ。俗に言う「田沼時代」である。幕政は腐敗し、田沼家への不満は日に日に募っていく。
そして1784年(天明4年)、意知が江戸城内で斬殺されてしまう。さらに家治が病に倒れ、その威光を失った意次は老中を罷免された。

家斉が11代将軍になると、意次は江戸屋敷と2万石を取り上げられる。翌年には反意次の急先鋒で清廉潔白を旨とする松平定信が老中首座に任命され、意次は所領を没収されて蟄居謹慎を命じられた。
田沼家の2代・意明は意知の長男である。所領を没収された後、田沼家は陸奥国下村藩1万石に移された。その後、田沼家は幕閣を輩出することもなく、歴代の当主も20歳そこそこの年齢で次々に死去していった。

6代・意正はそんな中で西の丸若年寄、若年寄に任命された久しぶりの例だった。意正の代に田沼家は旧領の相良藩1万石へ転封される。意正はその後、側用人にも任命された。
8代・意尊は1861年(文久元年)、若年寄に任命されている。佐幕派として「鳥羽伏見の戦い」に加わり、敗戦して新政府軍に従った。その後、上総国小久保藩1万石へ転封され、版籍奉還を経て小久保藩知事に任命される。意尊の死後、家督は9代・意斉が相続し、小久保藩知事にも任命された。
田沼家は1884年(明治17年)に子爵位を授かっている。

田沼家の歴代当主

  1. 田沼意次
  2. 田沼意明
  3. 田沼意壹
  4. 田沼意信
  5. 田沼意定
  6. 田沼意正
  7. 田沼意留
  8. 田沼意尊
  9. 田沼意斉
このページに記載してある内容の大半は 榎本事務所に寄稿していただきました。ありがとうございます!
   

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今日のレビュー

涅槃 上

戦国の梟雄と謳われた宇喜多直家の生涯を描いた歴史小説です。

官能小説かと思わせるくらいの性的な描写があるにも関わらず、全体的に低俗な印象は無く、人間味溢れる物語でした。

備前、備中のお城がよく登場し、下巻では三国一の美女おふくさんもしっかり登場します。

現在のJR岡山駅界隈の発展の礎を築いた人物であると改めて認識しました。

デュラけんさん)

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