相模国小田原藩大久保家の分家。宗家の5代・忠朝の次男・教寛が興した家である。駿河国松永藩1万1千石を立て、5代・教翅(のりのぶ)のときに相模国荻野山中藩に転封された。
なお、荻野山中藩に移っても、領地の大半は松永藩の頃と変わらなかったため、松永に造られた陣屋は幕末まで使われていた。大久保家宗家の14代・忠良はこの荻野山中藩大久保家から宗家へ養子に入っている。
大名種別 いわゆる親藩・譜代・外様の分類 | 譜代 |
---|---|
大名の格 幕府が定めた大名家の格付け | 陣屋 |
石高 歴代当主が与えられた最高石高 | 1万3千石 |
控えの間 江戸城に登城した際に待機する部屋(詰所) | 菊之間(広縁) |
官位(武家官位) 歴代当主が与えられた最高官位 | 従五位下 |
爵位 1884年(明治17年)の華族令制定時に与えられた爵位 | 子爵 |
相模国小田原藩大久保家の分家。宗家の5代・忠朝の次男・教寛が興した家である。駿河国松永藩1万1千石を立て、5代・教翅(のりのぶ)のときに相模国荻野山中藩に転封された。
なお、荻野山中藩に移っても、領地の大半は松永藩の頃と変わらなかったため、松永に造られた陣屋は幕末まで使われていた。大久保家宗家の14代・忠良はこの荻野山中藩大久保家から宗家へ養子に入っている。
└ 大久保家(大久保長門守家)
あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する