久留米有馬家3代・有馬忠頼は実子に恵まれなかったことから、但馬国出石藩主・小出吉重の子で外甥にあたる有馬豊祐を養子としたが、のちに頼利(4代)、頼元(5代)が生まれ宗家の跡を継いだ。
のちに幕命により、豊祐は1万石を分知されて久留米藩の支藩として松崎藩を立藩させた。同年、豊祐は従五位下伊予守に叙任されている。
しかし姉婿にあたる陸奥国久保田藩主・土方家の改易処分に連座して、松崎藩も改易となる。
こうして松崎支藩主家はわずか一代で断絶した。
豊祐の子の豊胤(英致)は、小出英直(豊祐の実弟)の養子となり、1500石の旗本となった。