般若寺城は明智光秀が八上城を包囲するために築いた城で、現在は城跡に正覚寺が創建されています。右手の案内板から登城口のある境内に入ることが出来ます。
正覚寺境内の幼稚園の裏手にあります。
正覚寺の裏山「井根山」の山頂。天正6年(1578)に明智光秀が八上城を包囲するための「向城」として築き、降伏した八上城主の波多野秀治とも対面したと伝わる歴史の大舞台でもあります。
東端の郭より高城山の八上城を望む。篠山川を隔てた正面に八上城があり、監視所として最適な位置にあります。
東端の郭の東側から北側にかけて、高い切岸が造成されています。
東端の郭の西側には一段、腰郭があります。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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