江戸時代より前の銀山支配の拠点だったとの事で、石垣が残っています。その後は大森代官所に拠点が移ったそうです。
山吹城登城口から鞆ヶ浦港までの銀山街道の最初の峠道で、番所跡があったとも言われています。(最初は堀切かと思って喜んだのですが、後から調べるとそうではないようです。)
虎口の周囲に石垣が転がっています。
虎口を登る時は何度か滑りそうになりました。
真ん中に城碑があり北は日本海、東に三瓶山と見晴らしは申し分ないです。
山吹城のすぐそばにある唯一中を見学出来る坑道で、採れた銀が銀山街道を通って鞆ヶ浦や沖泊の港に運ばれていたとの事です。
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