木浦城
木浦城

[愛媛県][伊予] 愛媛県今治市伯方町木浦甲546


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.55(--位)
  • 見学時間:21分(--位)
  • 攻城人数:83(1258位)

木浦城の城主メモ 最新順

ふるさと歴史公園は2021年3月で閉園したそうです。資料館、模擬天守ともに閉まってました。トイレは使える様になってました。

(2021/11/15訪問)

ふるさと歴史公園居館入口に令和3年3月31日をもってふるさと歴史公園は閉館しますと貼紙がされてました。

(2021/05/04訪問)

木浦港から徒歩で攻城。港から見えるかと期待してましたが無理でした。歴史公園の道路に沿って歩き、まずは古墳が目につきます。そこを越えて模擬天守に入城。展望を堪能し、展示物を鑑賞して下城。評判の塩ラーメンと貝飯を食べて満足しました。

(2020/08/25訪問)

模擬天守の資料館は16:30までです。
2階、3階は展望台になっており瀬戸内の島々を一望できます。
模擬櫓、模擬門は撤去されています。

(2020/03/21訪問)

無料の駐車場あり、山の上にあり景色は良いですが、模擬天守のみでした。

(2019/12/03訪問)

ふるさと歴史公園の駐車場に駐車して攻城。模擬門、模擬櫓はありません。眺望はいいです。硫黄の匂いがしたのは気のせいかな。

(2019/11/09訪問)

縄張は連郭式の単純な構造であるが、急峻な独立峰の山頂に築かれたため要害堅固な城郭で、また周辺の監視機能に優れていたと思われる。
ここからは潮待ちの港として栄えた木浦港が一望できる。

(2019/10/05訪問)
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今日のレビュー

悪党の戦旗 嘉吉の乱始末 (日経文芸文庫)

嘉吉元年1441年、時の将軍足利義教が赤松一族に殺される、いわゆる、嘉吉の乱からはじまる物語です。
播磨、備前、美作の守護を領していた大大名が、何故時の将軍を討ったのか、結果、討ち滅ぼされてから、お家再興のため、悪党と呼ばれながらも時代の流れに抗う様が描かれております。
昔よくいったお祭り、奇祭さいれん坊主が赤松一族の霊を弔うものとは知りませんでした。

デュラけんさん)

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