大日山城
大日山城

[茨城県][常陸] 茨城県龍ケ崎市塗戸町


  • 平均評価:★★☆☆☆ 2.23(--位)
  • 見学時間:27分(--位)
  • 攻城人数:16(3136位)

大日山城の訪問ガイド 最新順

大日山城をじっさいに訪問された方によるコメント(クチコミ)です。今後訪問される際の参考にしてください。
同日に撮影された写真がある場合は写真もあわせて表示しています。

龍ヶ崎市駅下車、駅東駐輪場より自転車をレンタル、県道253号経由で登城口そばの溜池まで約60分。未舗装路から直登し、主郭に至りますが、竹藪てかなりの歩行困難。それでも土塁越しに南側まで至ると、下に降りる道と祠があり、そこから櫓台となってる大日様と堀がありました。

(2024/01/27訪問)

登城路はいくつかあるようですが、私は、塗高池(溜池)横の未舗装の道に入り、少し進んだところにある登城路(わかりにくい)から藪の中をほぼ直登で登りました。本郭付近は整備され空堀と土塁を見ることができます。城名の由来となっている大日如来(石仏)を祀る祠がありました。

(2024/01/09訪問)

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今日のレビュー

図説 近世城郭の作事 櫓・城門編

三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。

まーちゃんさん)

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