岡山県中世城館跡総合調査報告書ー備中編ー城館番号437の平松城ですが、個別のページや縄張図もなく、ネット検索でも見つからなかったので城歴や縄張りがわかりませんでした。
報告書によると「東西240m、南北200mの範囲が屋敷地の跡とされている。平松公民館を南東隅として、一辺80mの方形地割が一部遺存している。」とあります。
岡山県中世城館跡総合調査報告書ー備中編ー城館番号437の平松城ですが、個別のページや縄張図もなく、ネット検索でも見つからなかったので城歴や縄張りがわかりませんでした。 報告書によると「東西240m、南北200mの範囲が屋敷地の跡とされている。平松公民館を南東隅として、一辺80mの方形地割が一部遺存している。」とあります。
住宅街の狭い道路から城址碑のある田圃への空き地があります。周囲には駐車スペースがないので気をつけて下さい。
岡山県中世城館跡総合調査報告書ー備中編ー城館番号437の平松城ですが、個別のページや縄張図もなく、ネット検索でも見つからなかったので城歴や縄張りがわかりませんでした。 報告書によると「東西240m、南北200mの範囲が屋敷地の跡とされている。平松公民館を南東隅として、一辺80mの方形地割が一部遺存している。」とあります。 また、城址碑には「天正八年 落城」とだけ刻まれており時期的には宇喜多氏が毛利氏から織田氏へ寝返ったのが天正七年なので毛利氏が落城させたのではと想像しています。
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