滝山城
滝山城

[愛知県][三河] 愛知県岡崎市宮崎町


  • 平均評価:★★★★☆ 3.75(--位)
  • 見学時間:50分(--位)
  • 攻城人数:16(3161位)

滝山城址 案内板

滝山城址 案内板
伝もものふ山田(ヤマー) 伝もものふ山田(ヤマー)

城址の麓にある亀穴城址碑の近くに設置されています。

   

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撮影場所

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カメラ情報

機種名Apple iPhone 12 Pro
ISO32
F値1.6
ホワイトバランスオート
シャッタースピード1/5556
レンズ焦点距離4.2 mm
フラッシュフラッシュ未発光、強制発光モード
露出モード自動露出
露出時間1/5556
画像方向水平(標準)

文字起こし

滝山城址(たきやまじょうし)
滝山城は、一六世紀半ばに、奥平貞能(おくだいらさだよし)が築いてここに居住したという。一名「亀穴城(かめあなじょう)」ともいう。
天正元年(一五七三)八月二十一日、作手の亀山城にいた奥平貞能・信昌父子は、武田方にそむいて亀山城を退いて、滝山城に入った。武田方は五千の軍勢を率いて、城の南面下の満足平(まんぞくだいら)に押し寄せた。城はすこぶる険しく攻めにくい。その上、援軍の徳川勢が駆け付け、武田方を包囲したこともあり、さすがの武田勢も退却した。奥平勢もこれを追って田原坂で激戦に及んだ。この戦いを滝山合戦という。
滝山城は、切り立つこと百十余メートル、中腹には急造されたと思われる本丸、東の峰、天主岩などの砦跡(とりであと)や、また東の峰づたいに今なお空堀が残り、山城の様子がしのばれる。
 額田町文化財保護委員会

伝もものふ山田(ヤマー) 伝もものふ山田(ヤマー)さんの当日の行程

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真田丸の謎 戦国時代を「城」で読み解く (NHK出版新書)

真田丸について真田氏の城づくり、戦国の城づくりから考察した本です。
資料から真田丸は、大阪城の惣構えから張りだした丸馬出し形ではなく、惣構えの外、深い谷を隔てた孤立無援の出城だったと結論付けています。
終章は「真田丸を歩く」というガイドブックになっていて、付近を歩いて楽しかったですよ。

やすべいさん)

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