数は少ないですが最寄りのバス停はこちらになります。 また路肩や側道に駐車できそうです。
主郭の西側の曲輪です。
二重堀切のうち西側のものです。
二重堀切のうち東側の堀切です。 土橋があるのですがその先は主郭の土塁(切岸)です。
Ⅱ曲輪側(西側)から撮影。 主郭の南西切岸から南麓に向けて土塁(写真左)と竪堀(写真中央)が作られ、V曲輪を西側から守っています。 竪堀、竪土塁は東側にもありV曲輪を守っています。
主郭南側切岸下の曲輪で東西は土塁と堀で、南は切岸で守られています。
城址の中央の曲輪が主郭です。中央に磐座があり祠があります。 また西側(写真左)に土塁が残っています。
主郭の中央には磐座があり、祠が建っています。(ところどころ石積が残っています。)
主郭の東西から南に向けて最長60mの堀切・竪堀が土塁を伴って連続してつくられています。東側の土塁は北側先端がY字になっていました。
主郭の東隣の曲輪です。
主郭の東隣りの曲輪(Ⅲ)の東側堀切です。 奥の竹藪に五輪塔群があります。
約300基あり、戦国時代の戦死者の供養塔と推測されています。
合併前の標柱が朽ちて倒れていました。
城址東端は車道で尾根が分断されていて、そこからの登城も可能です。 落ち葉で見えなくなっていますが、アスファルトの舗装道です。
こちらの側溝を越え坂を登るとⅤ曲輪、そして主郭です。
自分は西端から登りましたが、主郭への最短はこちらになります。
正面の家が建ってるあたりの地籍名が「屋敷」「元屋敷」「土居ノ内」なので城主や家臣の屋敷があったと考えられています。 また手前の田圃もかつては湿地帯だった事が確認されており、友野城は北側の吉野川と南側の湿地帯に挟まれた東西に長い丘陵を堀切と土塁で分断してつくられた城でした。
友野城は北側の吉野川と南側の湿地帯に挟まれた東西に長い丘陵を堀切と土塁で分断してつくられた城です。
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