相模川(東岸)河川敷にある『三段の滝下の多目的広場』から『上磯部の土塁跡』を見上げる。磯部城は、河川敷から4〜5m高い位置に築かれていたことが分かる。
電車で来られる方はJR下溝駅から徒歩で『三段の滝展望台』から段丘の上からの絶景を楽しんでから散策されても良いかと思います。多目的広場からだと、川沿い遊歩道を下流に向かうとすぐ近くに『上磯部の土塁跡』があります。
ここを含めて何箇所か、土塁らしき場所がありました。宅地化、畑で遺構は数少ないですが、当時の主要街道としては大橋が架橋されず、室町時代とほぼ変わらぬ風景が背面の相模川に残っているのは貴重に感じました。
相模川東岸の(出城の)磯部城から、本城とされている小沢城がある西岸を望む。大山道の相模川渡河地点、渡し舟の交通を抑え、大河の先の橋頭堡として、背水の陣として築かれた城なのだと感じる場所である。 磯部城の遺構は少ないが室町当時と同じ河の風景を見ることができるのがよい。
上磯部の土塁跡から遊歩道を下流へ数分歩くと『磯部民俗資料館』前。由緒ある大山道の名残りで、昭和初期まで渡し舟が稼働していたことが分かる。上流の田名や下流の厚木では、いずれも街道沿いに大きな橋ができたが、当時交通の要衝だった『磯部の渡し』に大きな橋が掛けられなかったのが、なぜなのか知りたい。
磯部頭首工公園すぐ近くの神社。この奥の用水路付近にも土塁の可能性を感じる場所があったが茂みが深くよく分からなかった。
『上磯部の土塁跡』から遊歩道を徒歩で5〜600m程度で城中心部とされている能得寺へ。特に城の遺構は見られない。目の前は平地が広がり、背後は大河相模川。頼りの本城(小沢城)は背面向こう岸。守り手としては心細かったのだろうか。などと思いを馳せることのできる城である。
相模川(東岸)河川敷にある『三段の滝下の多目的広場』から『上磯部の土塁跡』を見上げる。磯部城は、河川敷から4〜5m高い位置に築かれていたことが分かる。
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