[岐阜県][美濃] 岐阜県安八郡神戸町和泉中大門
城址へは道路から土の畦道を西に進んだところで、そこに案内板があり、竹藪内に城址柱があります。
城跡碑周辺の竹は綺麗に伐採されており、案内板も新しく設置されていました。
竹藪の中に突入してみましたが、浅い溝状の窪みが遺構と思えばそう見えるし、違うと思えば違うと思える⋯正直な所わかりません!
西保北方城から徒歩。周囲を一周したが、藪がひどく進入口もよくわからず、遠景を撮影して攻城。
竹藪の中に石碑がありますが、目を凝らしながら歩かないと見つけることができません。また、竹藪の中にはちょっとした窪みがありましたが、お城の遺構かどうかはわりませんでした。
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太田資正(三楽斎)の名前は知っていたものの、その知識のほとんどは佐竹氏の客将時代のもので、岩付城主時代の活躍や、息子に城を追われた話などはぜんぜん知らなかった。合戦でも活躍した名将だけど、反北条同盟を画策したり、武田氏や上杉氏から佐竹氏への取次を頼まれるなど軍略家として見たときの資正は相当な傑物であると思う。
であるにもかかわらず秀吉から「三楽斎ほどの者が一国も取れぬ不思議よ」と言葉をかけられるほど、戦国時代というのは個人の力量だけではどうにもならない無情さを感じますね。 太田氏の歴史から、現在訪問できるゆかりの地の紹介まで、非常に充実した一冊です。
( こうの)
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