城址南端の円光院には、木曽義仲を討った城主・石田為久の墓地があります。
関ヶ原の戦いで石田三成が旗印にした「大一大万大吉」は、かってこの石田為久が使っていたものだそうです。Pあり。
愛甲石田駅南口から徒歩5分程の場所です。このまま100m程道なりに進むと外堀土塁跡や水神様に着きます。 公園手前を右に曲がって2分程で子安神社(石田為久の守護神)に着きます。
水神様からの撮影です。 右端のアパートが建っている所が外堀の土塁跡です。
今も水が湧いていて鯉がたくさんゆったりと泳いでいました。 軍馬を洗う場所だったと云われています。
由緒書きには ・創建は不明だが平安時代末期以前である ・粟津の戦で木曽義仲を討った石田次郎為久が当社を守護神とした事 ・徳川家康がこの辺りで狩りをした時に鷹が戻ってこないので、名主が当神社に祈願したところ程なく戻ってきた。これにより、1591年に家康より三石の御朱印を賜った事 が、記されています。
バナー写真と同じ構図ですが、アパート建設により土塁の高さもかなり削られています。
北側からの撮影です。 右端の白いアパートとその横の一軒家の高低差から、以前よりかなり削られていていますが土塁跡である事が確認できます。
土塁跡、水神様を越えて数分歩くと、水神様に掲示されている「石田城想像図」に描かれている城址である高台の地形を確認できます。
城址南端の円光院には、木曽義仲を討った城主・石田為久の墓地があります。 関ヶ原の戦いで石田三成が旗印にした「大一大万大吉」は、かってこの石田為久が使っていたものだそうです。Pあり。
円光院から東に徒歩1分程の距離です。 城の南側はかっては低湿地帯で「城の越」と呼ばれていたそうです。
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攻城団テレビ「戦国時代のはじまりと終わりはいつか?」の中で団長が紹介されていたので読んでみることにしました。本書では1467年室町幕府に「応仁の乱」という形で押し寄せた前後を戦国時代の始まりとして、江戸幕府を開いた徳川家康が世を去る1616年までの約150年間に付いて、守護大名、守護代、国人などが戦国大名となっていく課程、織田信長の名が世に出てからは、三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)のエピソードが解りやすく書かれています。また北条氏がらみで関東近辺の地侍についての記載があり、東京在住の私としては地域の歴史を知る上での参考になりました。と言うことで、戦国時代を知りたい方の入門編としてお勧めの一冊だと思います。
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