岐阜県
羽島市 指定史跡
加賀野井城跡
羽島市下中町加賀野井内屋敷六二○番地の二
この城の築造年代は明らかでないが、天正年間(一五七三年~一五九一年)には加賀野井弥八郎秀望が織田信雄の臣下となり、四百十五貫文( 一万石)を領して城主となっていた。
本能寺の変(天正十年・一五八二)の後、豊臣秀吉と主筋織田家との間に対立が生じ、天正十一年四月長久手において戦ったが、豊臣方の大敗となり、翌五月緒戦の雪辱のため一転して当城を攻撃した。
城中には信雄の援兵二千余騎も加わり必死に防いだが、豊臣方十万の大軍の前に抗しきれず、城の明け渡しと、助命を条件に講和を申し入れたが秀吉は受け入れなかった。 そのため、五日夜陰に乗じ大手門より打って出て、最後の決戦を試みた。
衆寡敵せず城兵は枕を並べて討死し、城主秀望は辛くも脱出して関東にのがれて落城するに至った。
平成十八年三月再建
羽島市教育委員会
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