南砺市指定文化財史跡 昭和三四年十一月五日指定
福光城址と栖霞園寿永二年(一一八三)砺波山の合戦で、木曽義仲軍に加わり、平家の大軍と戦い活躍した石黒太郎光弘が、この地に城を築き、以来およそ三〇〇年間石黒党は栄えた。一族の福光五郎、彦二郎らもここに住み、その城域は広く濠も東西二十七間、南北十六間あり、城の周囲は城下町として繁盛していた。
文明十三年(一四八一)石黒氏は、井波瑞泉寺一向宗徒と争い敗れ、その後の城域は荒れ放題となっていた。
慶応の頃(一八六五~六八)前村礼蔵、波多易直らが、学問奨励のため漢学者宮永寂園、弟の半仏両人を福光へ招き教えを仰いだところ、弟子が増え明治二年(一八六九)にこの荒れた城址の一角に郷学所を建て栖霞塾と称し、地方の学問の中心とした。今は栖霞園として町民の憩いの場となっている。南砺市教育委員会
南砺市文化財保護委員会
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