機種名 | Apple iPhone 6 |
---|---|
ISO | 32 |
F値 | 2.2 |
ホワイトバランス | オート |
シャッタースピード | 1/1364 |
レンズ焦点距離 | 4.2 mm |
フラッシュ | フラッシュ未発光、オートモード |
露出モード | 自動露出 |
露出時間 | 1/1364 |
画像方向 | 90度回転 CW |
内藤弥次右ヱ門清長公終焉の地と伝う
萩城は寛正(一四六〇)の頃内藤氏京都より三河に移り住みこの地に屋敷城を築いたと伝えられる 永禄七年以来明治三十八年まで内藤一族が居住 同年耕地整理事業に伴い城址の古木は伐られ堀は埋められ往時を偲ぶものは姿を消し城 西堀の地名をのこすのみ整理後小字名は城跡となる
永禄六年の晩秋三河一向一揆起る上野城主内藤弥次右ヱ門清長は主君松平元康(家康)嫡子家長養子信成甥の正成同族甚五左ヱ門忠郷等と袂を分かち熾烈なる信仰に燃え宗門護持の為権勢に屈せず決然起って法敵退治の為進むは往生極楽 退くは無限地獄を旗印とし主従骨肉相食悲惨な戦いに敗れ こゝに蟄居の身となる同七年甲子八月十二日死去す 享年六十四歳
法號 楽宝院殿釈幽鑑真光覚位
没後四百二十三年にあたり城の由来を記しこゝに碑を建立す
昭和六十二年八月吉日 萩郷土史研究会有志
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する