模擬櫓は、実は、トイレでした。
青空が見えましたので、撮影してみました。
三の丸内にある三の丸神社です。だんじり祭り発祥の宮と言われております。一揆が起こりそうになった時、藩主が領民のガス抜きのために城内にあるこの稲荷に参拝を許したことが、だんじり祭り始まりです。このことは岡部家末裔の方も知りませんでした。
城内に120ほどあった上士の家も、現在では7家のみで、江戸時代からの建物が残っているのは、この佐々木家のみです。勿論、非公開です。
二の丸には、城郭チックな建物の心技館(武道場)があります。
絵図もあることですし、伏見櫓を再建して欲しいものです。
遊歩道から撮影しました。
百間堀の一部を埋め立てて、駐車場にしています。
武骨な感じが良いですねぇ。ここでも補修跡が見られます。
模擬櫓は、実は、トイレでした。
公園化されております。
残されている絵図には無い石垣です。
ここから車両は入れません。
城主の別荘跡には寺田邸が建てられ、五風荘となり、現在は、がんこ岸和田五風荘という寿司屋になっております。
本丸櫓門より北側にある隅櫓台への石段です。
定番の撮影ポイントです。なお、この天守は、昭和29年に出来た当初は、市立図書館でした。驚きです。
浜石垣は、海岸線の防備と防潮堤の役割がありました。現在では、この9メートルほどしか残っておりません。
定番の撮影ポイントです。
軟弱な地盤ゆえに少し大きい犬走りが出来たと考えるとすっきりします。
桜でも有名ですから、この様な遊歩道も出来たのでしょうか?
南側の石垣です。
内堀(南側)の石垣ですが、補修の跡が見られます。というのも石垣の多くが和泉砂岩(和泉石)からなり、柔らかくて加工しやすい反面、風化するのが早いので、補修は必然的に多くなります。
定番の撮影ポイントです。
ここの犬走りも幅が広いです。
ニの曲輪から二の丸への土橋です。
模擬なのですが、本物らしく見えますねぇ。
百間堀には、ハスが群生しています。
毎年、だんじり祭り前に草刈りをするのですが、まだ生い茂っていました。
府道堺阪南線(204号線)沿いにあり、奥に見える白い建物は、岸和田だんじり会館です。
歩道の柳の木が良い雰囲気を醸し出しています。
伏見城から移築された建物が建っていた場所です。
二の曲輪には、岸和田市役所が建っております。
百間堀も埋め立てられて、現在は五十間くらいしかありません。
この案内図は、分かり易いです。
高さは、2メートルほどです。
分かり易い鳥瞰図です。
円成寺は紀州街道に面しており、櫓みたいな建物が認められていたということは、紀州候の押さえという密命があったのかもしれません。
かっての太鼓部屋、軍糧倉庫が立ち並んでいた二の曲輪の南西側石垣です。ここでも補修跡が見られます。
草が生い茂り、分かりづらいですが、真ん中辺りに補強石垣があります。
公園は昔の堀跡で、左手の茶色い建物は、岸和田市役所です。
避雷針に目が行ってしまいます。
昭和44年の再建だそうです。
本丸櫓門より南にある階段です。
小天守内は、受付となっており、その脇にはパンフレットコーナーがあります。もちろん、攻城団のパンフも右下に置いてありました。
南東側の石垣です。
土塀は模擬ですので、狭間が少なすぎますし、実戦的な大きさではありません。
本丸にも模擬隅櫓がトイレになっています。
岸城町12番付近にあります。お向かいの家は、当時は堀でした。
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