明治33年にオランダ人技師デレーケにより木曽三川分流工事が行われ、複雑に入り組んだ木曽川、長良川、揖斐川は直線に付け替えられ、石垣のあった福束城も取り壊されて揖斐川が流れるようになりました。
明治33年にオランダ人技師デレーケにより木曽三川分流工事が行われ、複雑に入り組んだ木曽川、長良川、揖斐川は直線に付け替えられ、石垣のあった福束城も取り壊されて揖斐川が流れるようになりました。
城址近くの福満寺の境内にあります。
城主であった丸毛家の縁者である丸毛肥後守が福満寺に寄贈した版木で、右上に「丸毛兵庫頭鉾塚城古跡」と刻まれ、城址に石垣があったことが分かります。
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