[栃木県][下野] 栃木県芳賀郡益子町益子高館山
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高舘城跡(町指定史跡) 益子氏の居城として、 天正 17年 (1589) 宇都宮国綱、 芳賀高継らによって滅ぼされるまでの間、高館山の山頂を中心に構築された中世山城で、全国的に見てもとても規模が大きく、現在も当時の土塁や空堀の姿を見ることができます。 また、南北朝時代は西明寺城とよばれ、南朝方の関東六城(関、大宝、真壁、伊佐、中郡、西明寺)の最北端の城として活躍しました。
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大阪城建築される前の時代から現代までの通史を縦糸として、その地理的状況、歴史群像、文化を横糸として編み込んだ、まさに大阪城史のバイブルと言えます。 著者は大阪城天守閣学芸員、副館長を歴任された中村博司だけあって、その内容の精緻なこと、新書版でありながら359ページもあります。参考資料や年表も豊富に掲載されています。
( しろやまさん)
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