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みずのけ

水野家(新宮水野家、重央流)

水野家(新宮水野家、重央流)の歴史

上野国安中藩水野家を立てた分長の弟、重央から始まる家。家康の十男・頼宣の教育係を務め、頼宣が紀伊徳川家を興すと、その付家老となって代々仕えることになった。このとき、紀伊国新宮に3万5千石を領しているが、陪臣なので譜代大名や藩主としては扱われていない。
その後、10代目の当主である忠幹のとき、朝廷から御三家の付家老も藩主に加えるという旨が発令され、新宮藩水野家は譜代大名となる。第二次長州征伐の際、忠幹は幕府軍の先陣を務め、各地で幕軍が大敗する中、奮闘を続けて、「鬼水野」と畏れられた。翌年、版籍奉還を経て新宮藩知事に任命され、後に男爵位を授けられた。

水野家(新宮水野家、重央流)の分家

水野家(水野弾正忠家、分長流)

水野家(新宮水野家、重央流)

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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
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トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。

赤ヱ門さん)

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