笠間城
笠間城

[茨城県][常陸] 茨城県笠間市笠間3616


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.24(--位)
  • 見学時間:1時間10分(--位)
  • 攻城人数:1056(156位)

笠間城の天守(佐志能神社)

「常盤国笠間之城絵図」(正保城絵図)によれば、江戸時代には2重の天守があったことが描かれていますが、具体的な外観や構造はわかっていません。
田中嘉彦(笠間史談会会長)によれば、天守は移築現存する八幡台櫓とほぼ同一の構造であったと推測しています。

1873年(明治6年)以降に建物は取り壊されましたが、解体された天守の廃材は現在、天守台の上に鎮座している佐志能神社の社殿として転用されています。

ちなみに「正保城絵図」とは1644年(正保元年)に幕府が諸藩に命じて作成させた城下町の地図のことです。
そのため「2重の天守」というのも、幕府への配慮から本来は3重の天守だったものを2重に描いた可能性も少なからずあると考えられます。

   

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今日のレビュー

戦国和歌山の群雄と城館 (図説 日本の城郭シリーズ12)

とてもローカルな内容ですが、地元の城郭研究会の方々が実際に現地調査をして書かれているので、和歌山の城を知りたいときにはとても役立ちます。
特に、和歌山は著名な戦国武将がいないわりに、中央に近いので、その影響をもろに受け、群雄が接近したり反発したりととても複雑な様相を示しています。多数存在する小領主とその居城を網羅するこのような本の存在は大変ありがたいです。
今回は、図書館で借りましたが、自分でも持っておこうと思いました。

黒まめさん)

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