備中松山城
備中松山城

[岡山県][備中] 岡山県高梁市内山下1


  • 平均評価:★★★★☆ 4.20(3位)
  • 見学時間:1時間40分(11位)
  • 攻城人数:2846(31位)

与謝野夫婦が備中松山城を詠んだ歌

1916年(大正5年)の秋、歌人の与謝野夫婦が備中松山城のある高梁を訪れたそうです。
そのときに与謝野寛(よさのひろし)が詠んだ歌が石碑になっています。

松山の渓を埋むるあさ霧にわが立つ城の四方しろくなる与謝野寛

与謝野寛は与謝野鉄幹(よさのてっかん)という名前のほうが有名ですね。
奥さんの与謝野晶子も次のような歌を詠んでいます。

瀬戸の海伯耆に霧の分れ去りあらはになりぬ傷ましき城与謝野晶子

ふたりは油屋旅館(岡山県高梁市本町38)を宿に、備北路の紅葉をめぐる6日間の旅を楽しんだそうです。
当時はまだ天守も修復されていなかったそうですが、早朝から臥牛山に登り、備中松山城や高梁の風景を詠みました。

なお、油屋旅館はいまでも泊まれます。

   

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今日のレビュー

戦国和歌山の群雄と城館 (図説 日本の城郭シリーズ12)

とてもローカルな内容ですが、地元の城郭研究会の方々が実際に現地調査をして書かれているので、和歌山の城を知りたいときにはとても役立ちます。
特に、和歌山は著名な戦国武将がいないわりに、中央に近いので、その影響をもろに受け、群雄が接近したり反発したりととても複雑な様相を示しています。多数存在する小領主とその居城を網羅するこのような本の存在は大変ありがたいです。
今回は、図書館で借りましたが、自分でも持っておこうと思いました。

黒まめさん)

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