鬼ノ城を築くために使用した鉄の道具を製作・修理した場所で、9基の鍛冶炉が発見されたそうです。
鬼ノ城入口にあり、鬼ノ城およびその周辺の自然について学習できる施設です。
西門に向かう途中にある展望デッキで、ここから西門を見ることができます。
学習広場より、復元された西門を望む。
西門は発掘調査を元に推定復元されています。門には古代の絵がかかれた札のようなものが付けられています。
高さが13mあり、階上に城兵が守備する空間があります。
西門付近には石が敷き詰められている所があり、通路と城壁を壊してしまうのを防ぐ役割をしています。日本の古代山城では、鬼ノ城にしかない貴重な遺構だそうです。
一段一列に並べ置いた列石の上に、土を少しづつ入れてつき固めてできており、平均幅約7m、推定高は約6mあるそうです。
要所には堅固な高い石垣を築いており、天然要害の地であることとあわせ、圧倒的な迫力があります。
長さが11.6mあり、神籠石式山城は、九州地方から瀬戸内地方にある、石垣で区画した列石遺構の総称だそうです。
長さが14.6mあり、水流に堪えるよう下部の内外面とも石積みにし、上端に通水口を設けており、上部は版築土塁になっています。
長さが16.4mあり、水流に堪えるよう下部の内外面とも石積みにし、上端に通水口を設けており、上部には版築土塁になっています。
間口3間(12.3m)、奥行2間(8.2m)の規模をもち、一辺55cm前後の巨大な角柱12本で上屋を構成する大型の城門。
排水方法は、排水施設を設けて石垣の上から放水させる方式だそうです。
大きな石が並んでおり、重機がない古代では移動させるのにも相当な苦労が必要だったようで、当時の和人だけでなく、百済からの亡命者たちも技術集団として建設に加わっていたそうです。
第3水門と第4水門の中間地点にあり、岩に千手観音が刻まれています。この像は江戸時代の作だそうです。
第3水門と同様に、排水施設を設けて石垣の上から放水させる方式だそうです。
東門は西門や南門に比べると、やや小ぶりとなる間口1間(3.3m、奥行2間(5.6m)の掘立柱城門。
鬼ノ城を築くために使用した鉄の道具を製作・修理した場所で、9基の鍛冶炉が発見されたそうです。
城壁が崩れないように、城内にたまった雨水を外に出すための施設で、長さ10.5m、高さ3.2mあるそうです。
鬼ノ城で最も著名な高石垣で、血吸川の急崖上に舌状に構築されています。
屏風折れ石垣上にある広場で、ここから東門にかけての景色は、西門の復元が行なわれる以前の鬼ノ城を代表する風景だったそうです。
第2展望台より総社平野を望む。
昭和12年(1937)、「鬼ノ城保勝会」により建立されたそうです。温羅(うら)とは「鬼神」という異称があり、桃太郎伝説の鬼のモデルとなった人物で、古代吉備地方の統治者だったそうです。
北門の近くにある長さ49mの土塁。
唯一背面側にある城門。基本的な構造は他の門と同じ掘立柱城門で、通路床面には大きな石が敷かれています。
建物の構造や、周辺から須恵器を再利用した硯も出土していることから、役人が駐在した管理・運営に必要な施設であったと考えられているそうです。
鬼ノ城の中央部分には、柱の基礎に石を置いている7棟の建物が発見されており、相当な重量を支えた建物であることから、高床の倉庫群であったと考えられているそうです。
ここは尾根つづきで攻められやすいため、城壁の死角を補い防御力を高めることを目的として、城壁の一部を長方形に張り出しています。
角楼より西門と総社平野を望む。
鬼ノ城には4つの城門とは別に6つの水門があり、それぞれ第0水門から第5水門まで名前が付けられています。西門近くにある、中央左側にある溝が第0水門です。
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