江戸時代より前の銀山支配の拠点だったとの事で、石垣が残っています。その後は大森代官所に拠点が移ったそうです。
山吹城登城口から鞆ヶ浦港までの銀山街道の最初の峠道で、番所跡があったとも言われています。(最初は堀切かと思って喜んだのですが、後から調べるとそうではないようです。)
虎口の周囲に石垣が転がっています。
虎口を登る時は何度か滑りそうになりました。
真ん中に城碑があり北は日本海、東に三瓶山と見晴らしは申し分ないです。
山吹城のすぐそばにある唯一中を見学出来る坑道で、採れた銀が銀山街道を通って鞆ヶ浦や沖泊の港に運ばれていたとの事です。
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僕らは攻城の折に、何もない城址だとつい「残念ながら遺構は見られない」と思い、書いてしまいますよね。事実そう感じてしまうことで仕方ない。そんな中でも何かいい所を見つけて書きたいものです。そんなご同輩や私に、この本!
城って、造るのが大変で注目されるのはそこだと思いますが、落城することもあれば、天災で壊れそのまま廃城になることもあったわけで、そうした例を数多くの文献を引用して紹介してくれています。完全に破却される城がある一方、現代も遺構がある城址も存在する訳や、植栽の手入れやごみ・糞尿の処分などメンテナンス、門限や賭け事などのルール(城掟)といった生活観まで教えてくれます。
城掟ってものが残っていることを知りました。機会があれば見てみたいな。
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